こんにちは。
私は10年前に親の元から必死で逃げ、現在は平凡に暮らしている者です。
この記事では
- 私が住民票の閲覧制限をかけるに至った経緯
- 役所で手続きする時の様子
- 相談に乗ってくれたカウンセラーさんが素敵だった
これらの内容について紹介しています。ただの毒親育ちの余談です。
毒親から解放されたいと願う毒親育ちさんの参考になると嬉しいです。
また、住民票の閲覧制限についての解説は以下の記事をご覧ください。
毒親と絶縁した経緯
- アルコール依存症でDV&モラハラ系の毒父
- 自己愛性パーソナリティ障害で共感性が全くない母親
- 毒親のストレスの捌け口として私に攻撃してくる毒姉2人
人の心を持っていないのかな?と疑問に思うくらいキャラ濃い目の父・母・姉2人の元で私は生まれ、幼少期からストレスを抱えまくっていました。でもストレスがあるのは自分がダメなだけ、まさか家族が原因であると気付くのに時間がかかってしまいました。
毒親と過ごした苦しい日々
母親の洗脳により、小学校の頃から勉強や習い事を頑張っていました。テストでは90点以上を取らないといけないプレッシャーや、学芸会でのピアノ演奏・運動会ではリレー選手などに選ばれて目立つ優等生を演じなけれないけない環境でした。
さらには
- 幼少期から理由も告げられずに何度も引越し
- 毒父の面前DVでストレスMAX 自分の部屋がないから逃げ場もない
- 毒母から「大学には絶対に行きなさい」と念を押され、いざ入学が決まりましたが、入学金振込の2週間前になって「入学金なんか払えない」と言われたり(じゃあ何で大学行けと言った…??)
- 高校生になっても自分の部屋を与えてもらえない…(姉2人は自分の部屋を持っている)
- 「子供なんか3人もいらなかったのに…」と3番目の私に訴えてくる毒母
など、しんどい場面がたくさん、本当にたくさんありました。
20歳を過ぎ、やっと毒親の洗脳が解け始める
幼少期からの色々な難所を潜り抜け、なんとか奨学金を満額借りながらも大学生になれました。
大学生にもなると色々な人と関わる機会がありました。そこで多くの人と接して感じたこと…それは「なんか全員めっちゃまともな人間じゃない…?」です。
家の外で出会う人がまともすぎて、やっと自分の家族が異常者&機能不全家庭であることに気付けたのです。
中学や高校の時点では、まだ自分が幼すぎて気づけなかったのかもしれません。
その時からジワジワと毒親に対する怒りが込み上げてくるようになりました。
毒親との絶縁を決意
毒親に操作されていた自分に対する腹立たしさもあり、「もう消えたい…」という感情に苛まれましたがやっぱり死ねなくて、何とか踏ん張りました。
「毒親を殺すか自分が死ぬくらいなら、もう毒親と絶縁しよう」
「死ぬ前に一度でも幸せ!と思えることがしたい」そう感じ、毒親との絶縁を決意しました。
住民票の閲覧制限という素晴らしい制度を知る
お金も人脈も何も無かった私は、毒親からの逃亡をすぐには決行できませんでした。
そこで大学を卒業し、まずは就職。3年ほどかけてお金を蓄え(3年は長すぎた…)、こっそりと一人暮らしを決行しました。
しかし!一人暮らしを始めた家の住所が毒親にバレる!!という事態が発生。
「もう逃げられない…終わった…」と感じていた時に、住民票の閲覧制限の存在を知ります。
役所の人間=冷たいというイメージを持っていた私
役所に行ってもどうせ冷たくあしらわれるんだろうな、と思ってたんですよ。
どうせ過去の話でしょ⁉
毒親なんて本当にいるんですか??
役所の人間=淡々としていて冷たいみたいな勝手なイメージがあって。
でも、全然そんなこと無かったです。
頑張って生きていると、予想外の場所でこんなに温かい人に出会えるんだな、と思える出来事がありました。
相談員さんに毒親からの暴力について相談した
役所につくと受付の方が声をかけてくれたので、「住民票に閲覧制限をかけてほしいんです…」と言いました。緊張していたのですが、なんとか勇気をふりしぼって言いました。
すると「相談員と一度お話してください」と案内され、相談員さんが駐在しているコーナーへ案内されました。
そこは一般的な役所にありがちな市民課・納税課・子育て支援課…とかが並んでいる場所のすぐ隣。カーテンで仕切っただけの簡易的な相談コーナー(笑)でした。
他の人に丸聞こえやん…
えぇ~~~~~~~~~
父親が毎日のように包丁を振り回していて…とか、毒母が自己愛性パーソナリティ障害で私の人間関係を潰しにかかってくる…とか、一つひとつ話していく作業は、他人に聞かれる事が恥ずかしくなる内容でした。
役所の相談員のおじちゃんの包容力がすごい
相談員として話を聞いてくれたのは、以前は警察官をされていたというおじちゃんでした。
最初に「どうしたの?」と聞かれ、その一言だけでなんか泣きそうになりましたが、なんとかこらえました。
- 毒親とのこれまでの関係
- 家庭環境がグチャグチャで辛いこと
- 誰にも相談できなくて苦しいこと
- 毒親と縁を切って二度と会いたくないと思っていること
などを話しました。
その相談員さんは時間をかけて丁寧に話を聞いてくれました。そして「大丈夫だよ!」と言ってくれました。
「どうしたの?」とか、「大丈夫だよ!」とか、何気ないシンプルな言葉なのに、その何気ない一言にすごい温かみと包容力を感じる方でした。
役所には良い意味で期待を裏切られた
相談員に毒親の相談をした後、役所に隣接された男女共同参画センターへ行きました。
男女共同参画とは
- 男女共同参画センターは、全ての人が自分らしく生きる社会を実現するために設置された施設です
- 毒親に関する相談先が無い…という毒親育ちさんの相談先の一つとして候補に入れておいても良いと思います
- 上記の内閣府男女共同参画局のHPに記載されている施設一覧から自宅に近い施設を探し、連絡・相談してもOKです
そこに駐在していた新たな相談員さんも話に加わり、3人でこれからどうするかを話し合いました。
その相談員さんもとても温かい雰囲気を漂わせた方でした。
年配の女性の方で、私の話を聞くなり
「これまで本当によく頑張ってきたね。」と言ってくれました。
その一言で、これまで我慢してきたものが一気に溢れだすかのごとく、たくさんの涙が目から溢れ出しました。
「あなたがもし親になることがあれば、とても良い親になれるよ!」そんな風にも言ってくれました。
この言葉は、私が子育てをする上での心の支えになっています。
今でも「良い親って何だろう」「毒親にならないためにできる事って何だろう」そう考えるきかっけになる言葉です。
初対面の人にそんなこと、なかなか言えない気がします。相談員さんって、すごい。
勇気をだして役所に来たら、こんなに優しい人たちに出会え、役所のイメージが良い意味で変わりました。
ただただ、こんなに温かい人たちに出会えて本当に嬉しかったのです。
あの時勇気をくれた相談員さん2人に感謝
その後、「両親とはもう会わない方が良いね。」という話になり、住民票に閲覧制限をかける手続きを進めてくれました。
現在は他の街へ引越したため、その役所に行くことはなくなりました。
でもまたいつか、あの相談員さん達に会って感謝が言いたいな。
住民票の閲覧制限を検討している方へ
もし現在も毒親に苦しんでおり、毒親から逃げたい!毒親に対して住民票の閲覧制限をかけたい!と願っている方がいましたら、
- 役所に連絡し、住民票に閲覧制限をかけたい事を伝える
- 警察で毒親のことを相談する
- 男女共同参画センターで毒親のことを相談する
これらを実行してみてほしいです。(私個人としては、警察より、正式な相談員がいる役所&男女共同参画センターでの相談を強くおススメします)