【夏目雅子さんの命日】伊集院静さんとの出会いから結婚、そして突然の別れまで

昭和を代表する女優、夏目雅子さんと、作家であり作詞家の伊集院静さん。

夏目雅子さん

伊集院静さん

二人の関係は、多くの人々を魅了し、今なお語り継がれています。

その鮮烈な出会いから、愛を貫いた結婚、そしてあまりにも早すぎる悲劇的な別れまで、二人の愛の軌跡を振り返ります。

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二人の運命的な出会いと馴れ初めは?

夏目雅子さんと伊集院静さんの出会いは、1977年のカネボウ化粧品のキャンペーン「クッキーフェイス」のCM制作現場でした。

当時、伊集院静さんはCMディレクターとして、まだ無名に近かった夏目雅子さんをキャンペーンガールに起用しました。

このCMが大きな注目を集めたことが、夏目雅子さんがスターダムへと駆け上がる大きなきっかけとなります。

この仕事を通じて出会った二人ですが、その関係はすぐに恋愛へと発展しました。

当時、伊集院静さんには妻子がいましたが、二人は惹かれ合い、約7年間にわたる交際を続けることになります。

伊集院静さんは夏目雅子さんと出会った翌年の1978年には妻子と別居生活を始めており、二人の関係の深さがうかがえます。

周囲の反対を乗り越えての電撃結婚と夫婦生活

長い交際期間を経て、伊集院静さんは1980年に前妻と離婚しました。

その後、1984年8月27日に夏目雅子さんと再婚を果たします。

当時、人気絶頂の女優だった夏目雅子さんの結婚は世間を驚かせました。

夏目雅子さんの母親である小達スエさんが結婚に反対していたとも言われていますが、夏目雅子さんの決意は固く、二人は晴れて夫婦となりました。

しかし、長い道のりを経て結ばれた二人の結婚生活は、決して平穏なだけではありませんでした。

それでも、伊集院静さんが後に語っているように、お互いを深く理解し、支え合う日々を送っていたようです。

結婚からわずか1年4ヶ月、夏目雅子の死という悲劇

幸せな結婚生活が始まった矢先、二人に大きな悲劇が訪れます。

結婚から約半年後の1985年2月、夏目雅子さんが舞台公演中に体調の異変を訴え、急性骨髄性白血病であることが判明しました。

伊集院静さんはすべての仕事を休み、献身的に看病にあたりましたが、夏目雅子さんは約7ヶ月の闘病生活の末、同年9月11日に27歳という若さでこの世を去りました。

結婚から、わずか1年4ヶ月後のことでした。

夏目雅子さんと伊集院静さんの間に子供はいなかった

夏目雅子さんと伊集院静さんの短い結婚生活において、二人の間に子供はいませんでした。

その背景には、結婚前の長い交際期間における複雑な事情があったと言われています。

二人に子供がいなかった理由とは?

二人に子供がいなかった最も大きな理由として、結婚前の交際期間中に、夏目雅子さんが数回にわたって妊娠中絶を繰り返していたという事実が挙げられます。

この事実は、伊集院静さんが二人の関係をモデルに描いた小説「乳房」や、夏目雅子さんの母親である小達スエさんの著書などで明かされています。

当時、伊集院静さんには前妻との間に二人の娘がおり、「すでに子供がいるから、もういらない」という意向を持っていたとされています。

伊集院静は子供についてどう語っていたか

伊集院静さんが、夏目雅子さんとの間の子供について公に多くを語った記録は多くありません。

しかし、前述の通り、交際中には子供を望まない姿勢であったと伝えられています。

結婚後は、すぐに夏目雅子さんの病気が発覚し、闘病生活が始まったため、子供を持つことを考える時間的な余裕もなかったと推測されます。

伊集院静さんは最初の妻との間に生まれた娘である西山繭子さんに対して、後年

伊集院静さん

大切な存在。
何があっても彼女の尊厳だけは守ってやろうと思っている。

と語っており、父親としての情愛をうかがわせています。

西山繭子さん

夏目雅子さんの死因と、妻を想う伊集院静さんの行動

夏目雅子さんのあまりにも早すぎる死は、社会に大きな衝撃を与えました。

最愛の妻を失った伊集院静さんは、深い悲しみの中で、夏目雅子さんへの想いを胸に生きることになります。

夏目雅子さんの直接の死亡原因「急性骨髄性白血病」とは?

夏目雅子さんの命を奪った直接の病名は「急性骨髄性白血病」です。

これは、血液細胞を作る骨髄に異常が起こり、がん化した細胞が正常な血液の生成を阻害する病気です。

夏目雅子さんは約7ヶ月間、懸命に闘病を続けましたが、最終的には肺炎を併発し、帰らぬ人となりました。

闘病生活を支えた夫・伊集院静と親友・田中好子の存在

闘病中、夫である伊集院静さんは仕事をすべて休み、夏目雅子さんに付き添い、最後まで献身的に支え続けました。

また、女優の田中好子さんも夏目雅子さんの親友として闘病を支えた一人です。

田中好子さん

二人はドラマでの共演をきっかけに親交を深め、田中好子さんは後に夏目雅子さんの兄と結婚し、家族となりました。

伊集院静さんと田中好子さんの存在は、過酷な闘病生活を送る夏目雅子さんにとって大きな心の支えだったことでしょう。

妻・夏目雅子への愛と追憶を綴った伊集院静の本

夏目雅子さんの死後、伊集院静さんは深いショックから酒とギャンブルに溺れる自暴自棄な生活を送りました。

しかし、周囲の支えもあって立ち直り、作家活動を再開します。

伊集院静さんは現在の妻である篠ひろ子さんに配慮し、長い間、夏目雅子さんのことを公に書くことはありませんでした。

しかし、東日本大震災をきっかけに

伊集院静さん

大きな別れを経験した人に伝えたい

との想いから、夏目雅子さんとの思い出を綴るようになります。

「さよならの力 大人の流儀7」などのエッセイや、夏目雅子さんを想起させる小説「愚者よ、お前がいなくなって淋しくてたまらない」などを発表し、その深い愛情と哀悼の意を示しました。

伊集院静さんの結婚歴|夏目雅子さんと篠ひろ子さん、桃井かおりさんとの関係性

伊集院静さんは、その華やかな経歴と共に、女性関係も注目を集めてきました。

生涯で3度の結婚を経験しており、その中でも夏目雅子さんとの関係は特別なものでした。

伊集院静の結婚は3回、夏目雅子は何番目の妻だった?

伊集院静さんは生涯で3度結婚しています。

最初の妻は広告代理店勤務時代に結婚した一般女性で、二人の娘をもうけました。

そして、1984年に結婚した夏目雅子さんが2番目の妻にあたります。

夏目雅子さんと死別した後、1992年に女優の篠ひろ子さんと3度目の結婚をしました。

夏目雅子さんの死後に再婚した妻・篠ひろ子さんとの関係

伊集院静さんは、夏目雅子さんの七回忌を終えた1992年に、女優の篠ひろ子さんと再々婚しました。

篠ひろ子さん

篠ひろ子さんと夏目雅子さんは生前、姉妹のように仲が良かったと言われています。

二人の出会いは、夏目雅子さんを偲ぶ会で、田中好子さんから紹介されたことがきっかけでした。

結婚後、篠ひろ子さんは女優業を休業し、伊集院静さんと共に仙台市へ移り住みました。

伊集院静さんが後年、夏目雅子さんについて執筆を始めた際も、篠ひろ子さんの後押しがあったといい、二人の間には深い信頼関係が築かれていました。

過去に噂された桃井かおりさんとの関係の真相

伊集院静さんは、夏目雅子さんと交際していた当時、女優の桃井かおりさんとも関係があったと噂されています。

一部では、夏目雅子さんと桃井かおりさんとの間で三角関係になっており、夏目雅子さんが伊集院静さんを取られまいと結婚を決意した、という話も伝えられています。

この噂の真相は定かではありませんが、伊集院静さんが当時から女性に非常に人気があり、華やかな交友関係を持っていたことは事実のようです。

永遠に輝き続ける女優・夏目雅子さんのプロフィール

夏目雅子さんは、亡くなってから長い年月が経った今でも、多くの人々の記憶に残り、その美しさと才能が語り継がれる伝説的な女優です。

夏目雅子さんの経歴と代表作一覧

夏目雅子さんは、1977年のカネボウ化粧品のCMで一躍注目を集め、本格的に女優としてのキャリアをスタートさせました。

代表作には、三蔵法師役を演じたテレビドラマ「西遊記」や、映画「二百三高地」などがあります。

特に、映画「鬼龍院花子の生涯」での鬼龍院松恵役の演技は高く評価され、「なめたらいかんぜよ!」のセリフは流行語にもなりました。

数々の作品で清純な役から妖艶な役まで幅広く演じ分け、若くして日本を代表する女優の一人となりました。

今も語り継がれる夏目雅子さんの家族(姪っ子など)

夏目雅子さんの家族も、彼女の死後、メディアで取り上げられることがあります。

夏目雅子さんの兄は、親友であった女優の田中好子さんと結婚しました。

また、夏目雅子さんの姪にあたる楯真由子さんも女優として活動しており、その存在が注目されることもあります。

夏目雅子さんという不世出の女優の存在は、その家族の物語を通じても、今なお多くの人々に語り継がれています。

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