小山明子の現在は?90歳を迎えた今の活動から夫・大島渚との歩みまで徹底解説

女優として数々の映画やドラマで活躍し、世界的な映画監督である故・大島渚さんの妻としても知られる小山明子さん。

2025年現在、90歳を迎えた小山明子さんは、どのような日々を送っているのでしょうか。

この記事では、小山明子さんの現在の活動内容や健康状態、夫・大島渚さんとの歩み、二人の息子さんのこと、そして過去の苦難を乗り越えた力強い生き様に至るまで、詳しく解説します。

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小山明子の現在。90歳を迎えた今の活動内容とは?

90歳という大きな節目を迎えられた小山明子さんですが、その活動は今もなお精力的です。

ここでは、小山明子さんの現在の活動内容や日々の暮らし、健康の秘訣についてご紹介します。

現在の主な活動は講演会?最新のメディア出演情報まとめ

小山明子さんの現在の主な活動は、ご自身の経験を伝える講演会や執筆活動が中心です。

特に、夫である大島渚さんの壮絶な介護経験や、ご自身が乗り越えてきたうつ病との闘いについて語る講演は、多くの人々に勇気と感動を与えています。

また、メディアへの出演も続けており、2025年8月5日には黒柳徹子さんの長寿トーク番組「徹子の部屋」への出演が予定されています。

このほか、お年寄りのための「あゆみシューズ」を手掛ける徳武産業のイメージキャラクターを務めたり、東日本大震災の復興支援活動に参加したりと、その活動は多岐にわたります。

90歳でもお元気な姿!現在の暮らしと健康の秘訣

小山明子さんは2024年に肺がんと心臓の病気が見つかり治療を受けましたが、現在も完治はしていないものの体調は良好とのことです。

過去には80代で乳がんや肺がん、脊柱管狭窄症も経験し、手術を乗り越えてきました。

その若々しさと健康を支えているのは、日々の積極的な活動にあります。

  1. 週に1回のプール通い
  2. コーラス教室
  3. 月に2回の麻雀
  4. 週に3日の筋力トレーニング
  5. 月1回のネイルやエステ
  6. 週1回の美容院通い

こうした活動を欠かさず、免疫力を上げるためにも「楽しいことをたくさんしよう」と心がけていると語っています。

小山明子さんの最新情報を知るための公式サイトやSNSはある?

小山明子さんの最新情報を知りたい方も多いかと思いますが、2025年現在、小山明子さんご自身の公式ウェブサイトや、X(旧Twitter)、Instagramといった公式SNSアカウントは運営されていないようです。

そのため、小山明子さんの最新の活動状況やメディア出演情報を得るには、テレビ番組の出演情報や、雑誌のインタビュー記事、講演会のお知らせなどを確認するのが主な方法となります。

小山明子の家族構成|夫・大島渚監督との歩みと息子について

小山明子さんの人生を語る上で欠かせないのが、夫である故・大島渚監督をはじめとするご家族の存在です。

ここでは、小山明子さんを支える家族との歩みについて詳しく見ていきます。

小山明子の配偶者は世界的な映画監督・大島渚

小山明子さんの配偶者は、『戦場のメリークリスマス』『愛のコリーダ』などで世界的に知られる映画監督の故・大島渚さんです。

世界的な映画監督・大島渚さん

戦場のメリークリスマス

二人は小山明子さんが女優、大島渚さんが助監督として松竹に在籍していた頃に出会い、1960年に結婚しました。

大島渚さんは2013年1月15日に80歳で亡くなるまで、小山明子さんにとって人生の伴侶であり、共に映画界を歩んだ戦友でもありました。

夫・大島渚監督との馴れ初めから結婚生活

小山明子さんと大島渚さんは、仕事を通じて知り合いました。

結婚の時期と大島渚さんが松竹を退社して独立する時期が重なったため、新婚生活は経済的に苦しい状況からのスタートだったと振り返っています。

その後、大島渚さんの作品が海外で高く評価されるようになると、夫婦でカンヌ国際映画祭に何度も足を運びました。

テレビでは厳しいイメージのあった大島渚さんですが、家庭では声を荒げることはなく、学歴などで人を判断しない平等な人だったと小山明子さんは語っています。

15年間に及んだ壮絶な介護生活と看取り

1996年、夫である大島渚さんがロンドンで脳出血に倒れ、小山明子さんの介護生活が始まりました。

女優業を休止し、15年以上にわたって献身的に介護を続けました。

介護中は、移動図書館で借りた本を読むことが心の支えとなり、ドイツの哲学者アルフォンス・デーケンさんの著書にあった「手放す心」という言葉に救われたといいます。

2013年1月、大島渚さんは肺炎により80歳でその生涯を閉じました。

小山明子さんはご自身の舞台初日の前日に夫を看取り、

小山明子さん

ご苦労さまでした。もう何も悔いはありません。

と気丈に語っています。

息子(長男・次男)の現在の職業や活動は?

小山明子さんと大島渚さんの間には二人の息子さんがいます。

長男の大島武さんは経営学者で、現在は東京工芸大学芸術学部の教授を務めています。

次男の大島新さんは元フジテレビのディレクターで、現在はドキュメンタリー番組などを手掛ける株式会社ネツゲンの代表取締役であり、映画監督としても活躍されています。

息子さんたちは小山明子さんにとって大きな支えであり、特にコロナ禍でうつ病になった際には、息子さん夫婦にお金の管理を任せたことで回復に向かったと語っています。

女優・小山明子の輝かしい経歴|若い頃の功績と代表作

現在の活動に至るまで、小山明子さんは女優として輝かしいキャリアを築いてきました。

その原点であるデビューのきっかけや、若い頃の活躍、代表作について振り返ります。

デビューのきっかけと「第二の原節子」と呼ばれた若い頃の美しい姿

小山明子さんは高校卒業後、ファッションデザイナーを目指して洋裁学校に通っていました。

その在学中に雑誌『家庭よみうり』の表紙を飾ったことがきっかけでスカウトされ、芸能界入りします。

当初、父親からは猛反対されたそうですが、それを乗り越え、1955年に松竹映画『ママ横をむいてて』で女優デビューを果たしました。

デビュー後はその美貌と演技力で瞬く間に人気女優となり、数多くの作品でヒロインを務めました。

美しい!!

女優としての代表的な映画・テレビドラマ作品一覧

小山明子さんは、これまでに膨大な数の映画やテレビドラマに出演しています。

夫である大島渚監督の作品では、『日本の夜と霧』『絞死刑』『儀式』『愛のコリーダ』などに出演し、重要な役どころを演じました。

テレビドラマでは、花登筺さん原作の『あかんたれ』や『続・あかんたれ』で演じた大阪船場の「ご寮さん」役が大きな評判を呼び、お茶の間の人気を不動のものにしました。

そのほかにも、『必殺シリーズ』や大河ドラマ『新・平家物語』など、数えきれないほどの作品でその存在感を示しています。

小山明子は歌手だった?歌についても解説

小山明子さんは女優としての活動が主であり、プロの歌手として正式に活動していたという情報はありません。

しかし、音楽との関わりは深く、現在もコーラス教室に通うなど、歌うことを楽しんでいます。

また、介護中には夫である大島渚さんによく「月の沙漠」を歌ってあげていたという心温まるエピソードも語られています。

介護うつ病との闘い|発症から克服までの道のり

華やかな女優人生の一方で、小山明子さんは二度にわたる「うつ病」という大きな苦難を経験しています。

その原因と、どのようにして乗り越えてきたのか、ご自身の言葉から紐解きます。

小山明子が「うつ病」になった原因は介護疲れ?

小山明子さんが最初にうつ病と診断されたのは61歳の時でした。

夫である大島渚さんが脳出血で倒れ、先行きの見えない介護生活への不安や、仕事を全てキャンセルしたことによる女優失格という自己嫌悪が重なったことが原因でした。

二度目のうつ病は86歳の時、コロナ禍がきっかけでした。

予定されていた講演会などが全て中止となり、経済的な不安に襲われたことで、「生きていてもしかたない」とまで思い詰めてしまったと語っています。

どのようにしてうつ病を乗り越えたのか?具体的な克服法

一度目のうつ病を克服するきっかけとなったのは、思い切って始めた水泳教室でした。

体を動かすことに加え、心を許して話せる人がいなかった中で、外に出て新しいことに挑戦したのが良い転機となりました。

このうつ病が完治するまでには4年を要したそうです。

二度目のうつ病からは、息子さん夫婦のサポートによって立ち直りました。

通帳などを全て息子夫婦に預け、お金の管理を任せたことで不安から解放され、回復へと向かいました。

自身の経験を伝える講演活動の意義

小山明子さんは、ご自身の壮絶な介護経験や二度のうつ病を乗り越えた体験を、講演会などを通じて多くの人々に伝えています。

人生には様々なことがあるものと受け入れ、厳しい環境の中でも前向きに生きる大切さを語りかけています。

また、「終活」の重要性も説いており、元気なうちに自分の最期について考え、家族に伝えておくことの大切さを自身の言葉で伝えています。

こうした活動は、小山明子さんにとって、自身の経験を誰かのために役立てるという大きな生きがいとなっています。

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