「ヒロシです」の自虐ネタで一世を風靡し、現在はソロキャンプのカリスマとして再ブレイクを果たしたお笑い芸人のヒロシさん。

その独特のネガティブな芸風と、自然体なライフスタイルが多くの人々を魅了しています。
この記事では、そんなヒロシさんの知られざるルーツである「学歴」に焦点を当て、出身大学から高校、中学校、そして学生時代のエピソードまでを詳しく解説します。
【結論】最終学歴は九州産業大学 商学部経営学科
ヒロシさんの最終学歴は、福岡県福岡市にキャンパスを構える私立大学の「九州産業大学」です。
学部については商学部に在籍しており、商学部商学科を卒業されています。
大学時代にはすでにお笑いへの道を志し始めており、後の芸人人生の原点となる重要な時期を過ごしました。
出身高校は熊本県立荒尾高等学校(現:岱志高校)
ヒロシさんの出身高校は、地元の熊本県にある「熊本県立荒尾高等学校」です。
男女共学の県立高校で、ヒロシさんは普通科に在籍していました。
この熊本県立荒尾高等学校は、2017年に熊本県立南関高等学校と統合され、現在は「熊本県立岱志(たいし)高等学校」として新たな歴史を歩んでいます。
そのため、ヒロシさんの母校である荒尾高校は現在閉校となっています。
出身中学校・小学校は地元の公立学校
ヒロシさんの出身中学校は、熊本県荒尾市にある「荒尾市立荒尾第三中学校」です。
小学校については校名が公表されていませんが、出身中学校の校区から、荒尾市内の公立小学校のいずれかに通っていた可能性が高いとされています。
故郷である熊本県荒尾市で、多感な少年時代を過ごしました。
学生時代はどんな人物だった?当時のエピソードを紹介
ヒロシさんの学生時代は、後の芸風を彷彿とさせるようなユニークなエピソードに満ちています。
高校時代には、モテたい一心でヴィジュアル系バンドを結成したり、不良の格好で入学式に出席して本物の不良に絡まれたりと、試行錯誤を繰り返していました。
大学時代には友人とトリオを組んでお笑いのオーディションに挑戦するなど、芸人になる夢へ向かって具体的な行動を起こし始めています。
ヒロシの大学時代は?九州産業大学での生活を深掘り
ヒロシさんの人生において、芸人としての道を本格的に意識し始めたのが大学時代です。
福岡という都市で過ごした4年間は、ヒロシさんにとってどのような時間だったのでしょうか。
九州産業大学での学業や活動、そして卒業後の進路について詳しく見ていきます。

九州産業大学の偏差値と学部は?
ヒロシさんが卒業した九州産業大学商学部は、当時の情報によると偏差値が30台後半から40台前半とされています。
ヒロシさんは商学部に在籍し、商学科を卒業しました。
大学では真面目に勉強に取り組んでいたと、ヒロシさん本人がインタビューで語っています。
なぜ九州産業大学に進学したのか?
ヒロシさんは、九州産業大学へ一般入試ではなく、出身高校である熊本県立荒尾高等学校からの指定校推薦で進学しています。
高校時代に一定の学業成績を修めていたことがうかがえます。
実家のある熊本県荒尾市からも通える距離にある福岡県の大学を選んだ背景には、地元の環境を考慮した現実的な進路選択があったのかもしれません。
大学時代にホスト経験?芸人への道を歩むきっかけ
「ヒロシさんのホスト経験は大学時代?」という疑問を持つ方もいるかもしれませんが、データベースによると、ヒロシさんがホストとして働いたのは大学卒業後、上京してからのことです。
大学時代は、芸人への夢を追いかけていました。
1年生の時に友人2人を誘ってお笑いトリオ「貴族」を結成し、吉本興業主催のオーディション番組『激辛!?お笑いめんたい子』に挑戦しましたが、結果は不合格でした。
就職氷河期と重なった就職活動も全滅し、卒業後は一度、保険会社に就職するも長くは続かず、芸人への道を本格的に目指すことになります。
ヒロシの高校時代は?やんちゃだった噂の真相
ヒロシさんのネガティブなキャラクターの根幹は、多感な高校時代に形成されたのかもしれません。
熊本県立荒尾高等学校で過ごした3年間は、後の芸人ヒロシさんにどのような影響を与えたのでしょうか。
当時のエピソードからその真相に迫ります。
出身高校「熊本県立荒尾高等学校」はどんな学校?
ヒロシさんの母校である熊本県立荒尾高等学校は、1948年に開校した歴史ある県立高校でした。
特にラグビー部が県内屈指の強豪として知られており、ラグビー日本代表の流大選手も卒業生の一人です。
現在は統合により閉校していますが、地域に根差した教育機関として多くの卒業生を輩出してきました。
高校時代のヒロシは目立たない存在だった?
現在メディアで見せる物静かなイメージとは裏腹に、高校時代のヒロシさんはモテるために様々な行動を起こしていました。
入学式に不良の格好をして注目を集めようとしたり、ヴィジュアル系バンドを組んでベースを担当したりと、自己表現を試みていたようです。
しかし、14人の女性に告白してすべて断られるなど、その試みはなかなか実を結ばず、独自の感性を磨いていくことになりました。
「ヒロシです。」の原点は高校時代にあり?
ヒロシさんの代名詞である自虐ネタ「ヒロシです。」の根底には、高校時代の経験が色濃く反映されていると考えられます。

不良の真似をしても本物には敵わず、人と同じことをしても意味がないと悟った経験。
そして、恋愛がうまくいかなかった切ない思い出。
これらのほろ苦い青春時代のエピソードが、他にはない哀愁を帯びたヒロシさん独自のお笑いスタイルを生み出す土壌となったのかもしれません。
学歴から紐解くヒロシのプロフィールと芸人としての経歴
九州産業大学を卒業後、ヒロシさんは紆余曲折を経てお笑い芸人としての道を歩み始めます。
ここでは、ヒロシさんの基本的なプロフィールと、ブレイクから現在に至るまでの波乱万丈な芸人としての経歴を振り返ります。
ヒロシの基本プロフィール【本名・出身地・生年月日】
ヒロシさんの本名は「齊藤 健一(さいとう けんいち)」さんと言います。
1972年1月23日生まれで、出身地は熊本県荒尾市です。
父親が三池炭鉱の炭鉱マンであったことから、本名の「健一」は「健康第一」という願いを込めて名付けられました。
ちなみに「ヒロシ」という芸名は、たまたま目にした雑誌の表紙に写っていたフリーアナウンサーの生島ヒロシさんの名前から、「親しみやすい」という理由で採用したそうです。
芸人「ヒロシ」誕生からブレイクまでの道のり
大学卒業後、保険会社を半年で退職したヒロシさんは、福岡吉本の門を叩きます。
同期にはパンクブーブーの佐藤哲夫さんなどがいました。
コンビ「ベイビーズ」を結成し活動していましたが、26歳で上京後に解散。
生活のために歌舞伎町でホストとして働いた経験は、月給3万円という過酷なものでした。
この辛い経験や過去のうまくいかなかった出来事をネタにぶつけ、自虐ネタ「ヒロシです」が誕生します。
2004年、『笑いの金メダル』などのテレビ番組への出演をきっかけに大ブレイクを果たし、最高月収は4000万円にも達したと明かしています。
一発屋からの脱却と再ブレイクの理由
「ヒロシです」のブームが落ち着くと、ヒロシさんはメディアへの露出が減り、低迷期を経験します。
極度のあがり症であったことや、自身のこだわりから番組スタッフと衝突してしまったことなどが原因で、一時はテレビから距離を置いていました。
しかし、2015年にYouTubeチャンネル「ヒロシちゃんねる」を開設し、趣味であったソロキャンプの動画投稿を開始。
その飾らない自然体なスタイルがキャンプファンや新たな層からの支持を集め、キャンプブームの火付け役として見事な再ブレイクを果たしました。
ヒロシの現在の活動と気になる収入は?
ソロキャンパーとして新たな地位を確立したヒロシさん。
現在の活動は多岐にわたり、その収入源も気になるところです。
ここでは、YouTubeやテレビ、執筆活動など、ヒロシさんの現在の仕事と収入について解説します。
ヒロシの現在の月収・年収はいくら?収入源を徹底解説
ヒロシさんの現在の正確な月収や年収は公表されていません。
しかし、ブレイク時に最高月収4000万円を記録した経験を持ち、現在は登録者数100万人を超えるYouTubeチャンネルからの広告収入、レギュラー番組の出演料、多数の著書の印税、さらには自身が立ち上げたキャンプブランド『NO.164』のプロデュース料など、収入源は非常に多岐にわたります。
かつてのブレイク時とは異なる、安定した収入基盤を築いていると推測されます。
メインの活動はYouTube?「ヒロシチャンネル」の人気の秘密
ヒロシさんの現在の活動の主軸となっているのが、YouTubeチャンネル「ヒロシちゃんねる」です。
ヒロシさん自身が撮影・編集を手掛けるソロキャンプ動画が中心で、その魅力は「圧倒的な自由さ」にあります。
誰にも媚びず、静かに淡々と自分の好きな時間を楽しむ姿が、多忙な現代人にとっての癒やしとなり、多くのファンを獲得しています。
再ブレイクのきっかけとなった、非常に重要な活動の場です。
テレビ番組「ヒロシのぼっちキャンプ」は終了したの?
ヒロシさんの人気を象徴するテレビ番組として、BS-TBSで放送されている『ヒロシのぼっちキャンプ』があります。
この番組は終了しておらず、2024年現在もシーズン9が放送されるなど、シリーズ化されている大人気番組です。
他にも熊本朝日放送の『ヒロシのひとりキャンプのすすめ』など、キャンプ関連のレギュラー番組を複数持っており、テレビの世界でも確固たる地位を築いています。
作家としての一面も?著書「ヒロシのネガティブ大全」
見出しには『ヒロシのネガティブ大全』とありますが、ヒロシさんはこれまで数多くの書籍を出版しています。
特に、2015年に発売された日めくりカレンダー『まいにち、ネガティブ。』は10万部を超えるヒットを記録しました。
その他にも、
- 自叙伝『沈黙の轍 ずんだれ少年と恋心』
- 生き方を綴った『働き方1.9 君も好きなことだけして生きていける』
- キャンプ本『ヒロシのソロキャンプ』
など、作家としてもその才能を発揮し続けています。

ヒロシのプライベートな一面|結婚はしている?
ミステリアスな雰囲気をまとうヒロシさんですが、その私生活はどのようなものなのでしょうか。
多くの人が気になる結婚や家族、そしてキャンプ以外の趣味について、ヒロシさんのプライベートな一面に迫ります。

ヒロシは結婚してる?現在の彼女や結婚観を調査
2025年現在、ヒロシさんは結婚しておらず、独身です。
彼女の存在についても公にはされていません。
過去にはブレイクを機にモテたいという願望があったものの、極度の人見知りな性格からなかなかうまくいかなかったと語っています。
現在のヒロシさんは、自分の時間を大切にするソロキャンプというライフスタイルを確立しており、自由な生き方を満喫しているようです。
ヒロシの家族構成は?両親や兄弟について
ヒロシさんは両親と弟一人の4人家族です。
父親は元炭鉱マンで、ヒロシさんが小学4年生の時に仕事中の落盤事故で左脚を失うという大変な経験をされています。
厳格な父親だったそうですが、そこには息子に自分のような危険な仕事ではなく、安定した道を歩んでほしいという深い愛情がありました。
弟の康次(やすじ)さんは診療放射線技師をされており、兄弟の名前を合わせると「健康」となるよう、両親の願いが込められています。

素敵なネーミングセンスです!☆
キャンプだけじゃない!多趣味なヒロシの素顔
ソロキャンプのイメージが強いヒロシさんですが、実は非常に多趣味な人物です。
高校時代から続けているベース演奏はプロ級の腕前で、バンド活動も行っています。
また、愛車のスズキ・ジムニーのカスタムやバイクツーリング、釣り、家庭菜園など、アウトドアを中心に多彩な趣味を楽しんでいます。
これらの趣味が、ヒロシさんの豊かなライフスタイルと人間的な魅力を形成しています。


ヒロシの学歴と経歴が示す独自の魅力
ここまでヒロシさんの学歴や経歴、そして人物像について詳しく見てきました。
九州産業大学卒業という学歴から始まったヒロシさんの道のりは、決して平坦なものではありませんでしたが、その一つ一つの経験が現在のヒロシさんを形作っています。


苦労を乗り越えた経験が現在の活動に繋がっている
学生時代のうまくいかない恋愛経験、就職活動の失敗、過酷なホスト時代、そして一度ブレイクした後の低迷期。
ヒロシさんの人生は、多くの苦労と挫折の連続でした。
しかし、それらのネガティブな経験を全て笑いに変え、ネタとして昇華させたことで、「ヒロシです」という唯一無二の芸風が生まれました。
そして、再び自分の好きな「ソロキャンプ」を追求した結果、誰にも真似できない現在の地位を築き上げたのです。
学歴以上に魅力的なヒロシの生き方と人柄
ヒロシさんの学歴は九州産業大学卒業ですが、ヒロシさんの本当の魅力は、その学歴や経歴といった肩書だけでは測ることができません。
周りに流されることなく自分の「好き」を貫き、どんな状況でも自分らしさを見失わないその生き方こそが、多くの人々を惹きつける最大の理由でしょう。
ヒロシさんのこれからの活動からも、目が離せません。